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墓じまいが罰当たりと思われる理由とは。良くないことなのか徹底解説

墓じまいの基本

こんにちは!墓じまいアドバイザーの栗原です。
家の先祖の墓を閉じることを望んでいるものの、「もし先祖に呪われたらどうしよう」と悩んでいる方もいると耳にします。親戚との相談では「ご先祖様への無礼だ」との反対意見が出ることもあり、墓のある寺の僧に「そんな不敬な行為を!」と叱られたというエピソードもあるようです。
果たして実際のところ、墓じまいをすると罰当たりとされ、故人の先祖から呪われるものなのでしょうか?

仏教では墓じまいで罰が当たるという教義は存在しない

初めに仏教の視点から言いますと、亡くなった個人はその生前の行動によって極楽浄土または地獄へと向かいます。

故人やその霊魂が後にこの世に戻り、不義を働くという概念は教えとして存在していません。
葬儀や法要は、故人がスムーズに極楽へと至る手助けとなる行事です。
祟りを避けるためではないのです。

さらに仏教の中でも浄土真宗においては、人が亡くなると同時にその人は仏となり、浄土へと導かれるため、成仏できないという状況すら存在しません。

したがってお寺の僧侶に「墓じまい(=改葬)」の是非を尋ねると、宗派により基準は若干異なりますが、「しっかりと供養し、改葬するならば全く問題はない」との返答が得られることでしょう。

以下の記事では、墓じまいで体調不良や災いが起きてしまうかなどの墓じまいで言われていることについてまとめておりますので、ぜひ一読ください。

墓じまいは罰当たり?「祟る(たたる)」の考えは日本の古代神道の思想に基づく

「亡くなった者が祟る」という概念は、通説では日本独自の古代信仰から派生したものとされています。

著名な例として、平安時代に病気の拡散や稲妻といった自然災害が頻発した際、大宰府への左遷後に亡くなった菅原道真が祟ったと言われ、神として祀られ、それで平穏が戻った、という伝承があります。

他にも早良親王や平将門、崇徳天皇、新田義貞といった、同じテーマの話は多々存在します。
ところで「祟り」とは「人の行なった悪行や非道に対する天罰」とされ、無実の地から突如起きる災厄ではありません。先述の菅原道真に関する物語も、「道真を不正な告発で転落させた政府高官への天罰だった」との解釈が強いようです。

要するにいかなる神や仏も、基本的には人間を無闇に祟る存在ではないのです。

さらに付け加えると、キリスト教においては、亡くなった人の魂は神のところに移され、再び物理世界に戻る日までそこに留まるとされています。

そして死に際して魂が体を離れるため、死体は「魂が宿っていた場所」と見なされ、その結果、墓じまいは罰当たりとは関係がなく亡くなった人が祟るという観念は関わりを持ちません。

魂抜き(閉眼供養):お墓を敬うプロセス

お墓は最初はただの石材であり、お坊さんが行う「魂入れ」(開眼供養)という儀式を通じて、そこに魂が宿り、神聖なものとされます。それ以降、ご遺骨が納められ、私たちが一般に知っているお墓となります。

墓じまいの際には、その神聖なお墓から魂を抜く「閉眼供養」という手続きが最初に行われます。この儀式では、先祖に対する感謝の意を込めたお経が唱えられます。

※浄土真宗という仏教の宗派では、「魂」というコンセプトが存在しないため、魂入れ・魂抜きの儀式はありません。その代わり、「遷座法要」や「遷仏法要」と呼ばれる儀式が、仏壇や墓石を移動または修理する際に実施されます。

閉眼供養が行われたお墓は、開眼供養前の状態、すなわち単なる物質として扱われ、その後、墓石の解体、撤去、遺骨の取り出し、整地などの作業が進められます。

墓じまいは、このような適切な手順を踏むことで、罰が当たることや祟りが生じることはありません。逆に、敬意を表する行為とも言えるでしょう。

以下の記事では、閉眼供養と魂抜きのお布施の書き方やマナーについて徹底解説しておりますので、ぜひみてください。

無縁仏問題:遺された墓への思いと配慮

無縁仏となったお墓は手を合わせて供養する者がおらず、墓地の荒廃や管理者による強制撤去などの悲しい現実に直面します。

放置されたお墓は、時が経つにつれて墓地を荒れさせ、隣接する墓や墓地そのものにも影響を及ぼします。墓石も長年の風雨に晒され、劣化し、倒れる危険も増えます。

実際に無縁仏の状態が続けば、墓地の管理者が墓を撤去し、そこに納められていたご遺骨は、多くの場合、合同のお墓に埋葬され、個別の供養が難しくなります。

墓じまいとは、敢えてこのような未来を避け、予め手を打つものです。

ご遺骨は新しい場所に移され、改めて手を合わせ、供養ができる。放置するよりも、先祖を敬う行動となるのではないでしょうか。適切な時期に墓じまいを検討し、供養の手を続けることは、我々が次の世代へとつなげていく大切なバトンとも言えるでしょう。

墓じまいは罰当たりではない。後悔のない選択を

結論として先に述べますが、「墓じまい」または「改葬」が、罰当たりや祟りを引き起こすものではありません。

とはいえ、「お墓」は先祖や親族の遺骨が安置され、多くの人が感謝の思いを寄せ、守り続けてきた場所であり、その事実は変わりません。墓じまいを行った後で、もっときちんと供養してあげれば良かった、何らかの形でお墓を継続してあげるべきではなかったか、と自己を責めないよう、心からの供養をお勧めします。なお、「墓じまい」においては、お墓を撤去し遺骨を取り出す際に「魂抜き」「お性根抜き」といった儀式が一般的に実施されます。

「墓じまい」とは、一見して罰当たりなどネガティブな印象を抱かせる行動かもしれませんが、違った視点から見れば、先祖をないがしろにせず、見捨てず、無縁仏や無縁墓にせず、貴重な行為であるとも言えます。

実際、数十年前から、多くの場所で無縁墓が増加し、それが大きな課題となっています。

無縁墓は周りの墓地に迷惑をかけ、墓地そのものの荒れる原因にもなります。「お墓の最後を見届ける」ことも、十分なご供養となり得るのではないでしょうか。

またお墓から取り出した遺骨は、違法に放棄したり、墓地以外の場所に埋葬することは法に反します。どうか、新しい納骨先に移すよう心がけてください。他のお墓に再度埋葬する、永代供養墓に納める、遺骨を預かってくれる寺院に依頼するなど、適切な方法を選んでください。

以下の記事では、墓じまいの相談を事前にしないで後悔した方の体験談を載せておりますので、ぜひご覧ください!

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